一般教養がない

一般的に知っていて当然であろうと思われるようなことを私は知らないという事実を他者との交流を通して痛感する。幼少期に母に読み聞かせてもらった童話、幼稚園で声高らかに歌った童謡、いわゆる名著と呼ばれる「銀河鉄道の夜」「吾輩は猫である」等など。コミュニケーションに散りばめられるワードにギャップを感じることがしばしある。それは周りの人たちが教養を携えたインテリばかりだからであろうか。こういった所謂教養は恐らく、幼稚園並びに小学校時代を経て蓄積されていくのではないかと推察する。7ちゃんでやってた「小学5年生よりかしこいの?」的な番組で上にあげたような知識が問題として問われているのを見るにそうなのではないかと思う。自身の幼少期を振り返ると己が知的好奇心を以てNEOの図鑑を読み漁ったり、母親に寝る前に童話を読み聞かせてもらった経験は少ないし、母がたまに雑学大全のようなほんの一節を読み聞かせてくれる機会がないことは無かったが私が一方的に嫌がっていた節がある。小学生の頃も専ら父親のスマートフォンパズル&ドラゴンズというアプリゲームに興じたり、3DSで唯一買ってもらったソフトであるドラゴンクエストに身をやつすのみだった。当時は勉強というワードに対して無縁であり、ろくに宿題もせず電脳世界に熱中していた。また、高学年に上がってからは野球を本格的にはじめ、月から日まで練習、試合に明け暮れていた。放課後の練習が終わると空は暗くなっていることもしばしで、友達と遊ぶ機会も明らかに減っていた気がする。私の当時の生活は野球と練習の気を紛らわすためのゲームで構成されていたような感じがする。ゲーム自体に楽しかった思い出はあるがそれ自体が目的でないことから自身の人生を貫く信念に影響を及ぼしている感はない。私の世代はネットネイティブ世代と呼ばれているが簡便なユーザーインターフェイス設計のスマートフォンを利用している割合が高いだけでPCなどの電子デバイスの扱いに長けた人間の割合はさして高くないのではないかと思う。閑話休題、とりわけ私は教養知識に乏しい人間である。幼少期にろくに教科書に目を向けずに呆けていたために、都道府県の正確な位置さえおぼつかない。私が毎度会話する相手は教養が深くウィットに富んだ切り返しで感嘆するばかりで肝心の私は毎度言葉に詰まって、雑な返しをして毎晩お風呂で反省して涙で湯舟をかさましして水道代を浮かせる始末である。知識がないと会話にならないケースがあると最近気づき始めた。というのも高校時代は人間関係の形成に失敗、2年次に文系クラスに転向したところすでにグループが形成されており元のクラスからの級友が誰一人としていなかった私は自ずと孤独街道をひた走るのであった。そんな学生時代の果てに知識の重要性、フランシスベーコンの遺した知は力なりの意味を気づかずにいた。しかし、大学に入学して人とのコミュニケーションがありがたいことに増え、自分の知識、皆が当然のごとく共有している話題に対する切り札が毫もないと痛感させられる。ゲームの話題が出ても、プレステもWIIUも持っていなかった私はどうすればよいのだろうか、ソーシャルゲームは時に流れとともに変化し、今流行りのゲームの知識ももちろんない。ジェネレーションギャップに嘆く中年男性に共感を憶える日々を過ごしている。ということで最近、世界地図を覚え始めた。世界地理を把握して会話が広がる確率は76%と極めて高いため、私の放った一手は非常に強力といえることもない。え

一人暮らしはつらいよ 前編

親元を離れ、身辺の世話は自分が焼かなければならない状況に身をゆだねて。一人暮らしの憧れと自由の象徴としての大学生活を夢見て数か月の時が過ぎたところであるが、あの頃の自分の威勢は今や見る影もない。洗濯掃除宿題みんなおっかさんがやってくれていたことを自分でこなすのは少し大変だ。前までは衣食住が生活、QOLの核であると考えていたが、見事無残に怠惰という名の悪魔の誘惑に屈し、既製品、衣服の使いまわしとすっかり大学生のテンプレートのような生活を送ってしまっている次第だ。家族分の家事を毎日こなしていた親の力を考えると実は人間ではなかったのではないかという疑念は頭をよぎりませんが、育ててくれた親への感謝の念がより一層深まる大学生活のスタートダッシュであった。一人暮らしのもう一つの困難は起こしてくれるノイズが存在しない点だ。以前までは安眠というユートピアを汚す親の「起きなさい」の一言は良くも悪くも僕の行動エネルギーをため込むために必要であったと感じる。今では、いくら夜をふかして、ナイトフィーバーに興じようとも誰も邪魔しないし、眠れと言われればいくらでも眠ることはできる。無機質なアラーム音は僕の耳には届かない、ましてや親のノイジーな声など到底耳に届くはずもない、しかし、両者は全くと言っていいほどに性質を異にしている。親の声は耳には届かないが、心に届くのだ。これは親が超能力者でテレパシーを使うことができたからだと思うが。